過労死等防止対策推進シンポジウム 岐阜会場出席してきました

 

2019年11月12日に開催された過労死等防止対策推進シンポジウム岐阜会場に参加してきました。

その内容をレポートします。

 

会場では開会前に「マー君のうた」が流れました。ダカーポさんの歌で、和歌山の過労自死遺族の当時小学生のマー君が作詞した歌です。『タイムマシーンに乗ってお父さんの死んでしまう前の日に行くんや。』という歌詞をきくといつも泣けてきます。

 

 

 

開会後、まず岐阜労働局、労働基準部長の子安成人さんから挨拶がありました。昨年度も703名が労災認定され、そのうち死亡、自殺未遂したかたは158名となっているという実態が報告されました。

 

労働時間の上限規制、労働時間把握義務などの法改正がありました。労働時間の上限規制は大企業ではすでに施行されている。中小企業でも4月に施行される。労働局としてもこの施行にあわせて取り組んでいきたい。本日の内容を参考に、過労死を0にする取組をすすめていきたいとの挨拶がありました。

 

 

 

つづいて、岐阜労働局労働基準部監督課長の大谷徹さんから、過労死等防止対策の取組に関する報告がありました。主に過労死等防止対策白書にもとづいての報告でした。

 

 

 

まず労働時間の現状について、労働時間は低下傾向にある。昨年は1週間に60時間以上働いている雇用者の割合はピーク時の12%から昨年は6.9%まで減少傾向に有るとのとでした。ただ、岐阜県内の約2割の事業所では月80時間以上の時間外・休日労働を行った労働者がいます。休日労働まで入れると、長時間労働をしている人もまだまだいるそうです。

 

 

 

過労死等の状況については、最近では精神障害事案が増えており流れが変わってきているという指摘がありました。過労死の件数については、高止まりとなっているとの報告がありました。

 

事案については、男性の場合には、仕事の内容・仕事量の大きな変化による出来事による発病が多く、女性の場合には、悲惨な事故や災害の体験、目撃をしたという出来事多いとの違いが示されました。ただ、岐阜の場合には、連続勤務、長時間労働が多く、それからセクハラ、職場のいじめ、嫌がらせが主な理由になっているとのこと。私の実感からすると岐阜の方が一般的な傾向を表しているのではないかと思いました。

 

 

 

監督行政についても説明がありました。労働時間に関する法違反の事業所に対する指導、啓発活動の実施を行っているとの説明もありました。

 

厚生労働省は今後も過労死防止の取組を実施していくとのことでした。

 

 

 

つづいては、フロンティーク株式会社の代表取締役三鴨正貴氏からの報告がありました。

 

 フロンティークは、デイサービスの会社です。機能訓練をするデイサービスを行っているとのことでした。

 

 離職率は33.3%であったり、赤字経営であったりという過去がありました。

 

 いまでは60社、150人が見学に来ているそうです。赤字の際にはスタッフにはゆとりがなく、33.3%の人が会社を辞めていった。仕事量が多くて休みが取れない。仕事が多くて残業になる。そんな不満が聞かれたそうです。

 

 これを解消するために、有給休暇を取りやすい環境を作ろうとして、毎週水曜日はノー残業デーとしたそうです。しかし、残った社員に迷惑がかかるので有給休暇はとらない。仕事が終わらないので持ち帰り残業を行うなどのことが起こったそうです。

 

 そこで、問題は仕事量に目をつけました。しかし、仕事量を減らしたらさらなる赤字になってしまう。そこで、仕事の効率化を目指すことにしました。

 

ほうれんそう(報告、連絡、相談)を簡単に。インカムを導入し、離れた人に、みんなに伝わるようにしました。

 

この会社では、日々の記録を残すことが重要な業務でした。手書きで1日4時間かけてかいていました。これについて、社長自身で入力ソフトを開発しました。9割の記録業務を削減しました。

 

 そのおかげで業務が標準化し、他の職種間でも協力できるようになりました。複数ある施設間どうしでヘルプに行けるようになりました。

 

 時間短縮になり、残業は月5時間(1人)となりました。また、従業員が6人減っても、有給取得率は85%。離職率も8.8%と劇的に変化がありました。辞める人もその人の事情で、会社が嫌で辞める人がいなくなりました。

 

 決算も黒字になりました。会社の負債も解消されました。

 

 いまは、みんなで会社の将来を話すようになったそうです。社長と従業員との溝もなくなったそうです。

 

 

 今、全ての社員に歩数計をつけているそうです。それは、歩数=疲労度ではないかと考えたから。そして計ってみたら介護士より看護師の方が歩数が多かった。そんなことから、看護師の業務と介護士の業務の見直しを考えているそうです。

 

 三鴨社長は、赤字改善のために、働き方を考えた結果、従業員も会社もみんながよくなるという理想的な会社経営につながったとのことでした。

 

 

 

 つづいて朝日新聞記者の牧村昇平さんのお話がありました。

 

牧村さんからは、過労死等の遺族50人超を取材した経験からお話しがありました。

 

 

 

 亡くなる方は、本当にさまざま。年齢、仕事、家族構成、仕事ばかりしている人だけではなく、オンオフを切り替えていた方でもなくなる例がある。どんな人も亡くなる可能性があるとの指摘がありました。そんなことから、過労死は「他人事」から「自分事」にとらえたいとのお話しをされました。

 

 

 

 つづいて、自分事といっても自己責任というのはありえない。仕事がすきでやっているという人がいたとしても、それを放置して健康に配慮しなかった会社に責任が生じるのだ。自分だけでなく、職場全体で考えてほしいと訴えがありました。

 

 

 

 牧村さんは、マー君の歌のお父さんの自死の事件の取材のお話をしてくれました。死ぬくらいなら、やめればいいという自己責任論は通用しない。

 

 マー君のお父さんも、正常な考えができなくなる。それほど追い詰められた。その前に長時間労働を防止し、そうなるまえに食い止め無ければならないと思う。「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない状態なのです。

 

 

 

牧村さんの講演はここからご自身の話でした。次のような内容でした。

 

 

自分が過労死の取材をするのは「マー君」の「ぼくの夢」に接してでした。子どもが生まれて、自分がこのような働き方をしていて、妻や子どもが残されたらどうなるんだろうという思いをしました。

 

 

 入社して福島県で警察などをまわる仕事に従事しました。5年後、東京の財務省、国際経済の記事を取材して書いていました。世界中を出張して回っていました。

 

 ハードワークにたえられたので、評価されていたと思います。毎日朝5時半に起床して深夜2時に寝るという生活でした。自分自身が過労死候補生。労働時間は記録していないので分からないくらいでした。心身共にひどい状況でした。

 

 

そんな状態の中で、妻はワンオペ(1人だけで行う)育児という状態でした。妻がある日、死にたいと言い出しました。うつ病でした。そのため、自分は、経済部の内部で話しあいました。国際経済から労働問題の部署へ配置替えになりました。当時は、とても不満でした。メインストリームからの挫折だと感じていました。いまとなっては、妻に助けられた。あのまま働いてたら倒れた、命を落としていたかも知れないと思います。

 

 

 いま心がけていることはつぎのようなことでです。

 

    働く時間の管理をする。

 

    深夜は働かない。

 

    心の病のケアをする。

 

 妻も自分も心の病にならないように。脱ハラスメントを考えて、職場全体を守るということを考えています。

 

 記者の世界は平準化されていません。それでも平準化する方がいいです。特に事務の方は職場のなかで少数。こういうかたに声をかけるようにしています。一番大事なのは、心のゆとりをもつことだと思っています。自分の中ではもっと記事を書きたい、とゆらぐけれども、逃げていい,とも思っています。危ないというもっと手前で。

 

 

長時間労働による過労で、交通事故を起こしてしまう方もいます。危ないと思ったときには手遅れになっています。そのもっと手前で逃げる。逃げてもいいんだと思っておかないと駄目になってしまうのではないかと思っています。逃げてはいいんだと思っています。具体的に考えている訳ではないけれども、心の中では転職活動を、と思っています。高校生に話すときには、いつも転職活動を、と話しています。

 

 

 いまは、夜は仕事をしないというライフスタイルで生活をしています。それは、会社の理解で、成り立っています。朝日新聞という大きな会社で、多くの記者がいるので自分がそのようなスタイルで仕事をすることができます。

 

 

 いまは働いている時間は1日8時間くらい。家事、育児もしているので、結構つかれます。これ以上働いたら、地域生活、育児ができません。8時間働いて、その他の時間は、自分のために使う。自分がリフレッシュできる。休まなければならない。それを身をもって実感しています。

 

 

 

 ここから、また、事例の紹介をされました。

 

 外食チェーン店の事例の紹介です。

 

 エリアマネージャーは、暴力をふるっていました。そのため24歳で死亡した方の事案です。自分は、エリアマネジャーに取材をしました。そのエリアマネージャーはそっとしておいてほしいというだけで、記者からの取材は迷惑そうでした。自分は、心から反省している、遺族に謝罪したい、という対応を期待しました。そのような考えを遺族につなげたら、遺族の悲しみも少しは影響があるかと考えていました。でも、それは無理だということが分かりました。

 

 

 

 牧内さんは、自分がパワハラをしてしまった経験も話しをされました。入社3年目の頃、自分の私生活も大切にしたいという後輩に対し、厳しく叱責をしてしまった。いまは、後輩の置かれている立場や,考え方をよく理解せずに対応したことを後悔しているという率直な話しをされました。そして、それは自分の未熟さに責任があるが、重要な記事を書けという会社の構造が、自分をそうさせているという問題点についても指摘されました。

 

 

 

 過労死の取材を通して、自分自身の働き方を考える。そして、自分の今までのは働き方やパワハラも顧みて、講演をするというスタイルに、大変感銘を受けました。とてもいい講演だったと思いました。

 

 

 つづいて、過労死遺族の伊藤左紀子さんのおはなしでした。

 その内容は、以下のとおりでした。

 

 市役所につとめていた夫の哲さんが市役所から飛び降りてなくなりました。

 

 公園整備の仕事が多忙で、過酷であったこと。パワーハラスメントが行われたことが原因でした。公務災害申請しました。基金では自分の訴えを全面否定されました。裁判では地裁、高裁で私の言い分を認めてもらうことができました。10年かかった争いをおえることができた。市長と面談し、パワハラ防止対策などを約束させた。条例も作られました。市長や、部長も哲さんに謝罪をしました。ことし3月に岐阜過労死をなくす会を立ち上げて、過労死を防止するための活動をしています。

 2018年、岐阜市役所で2人の職員が自死している。無念でなりません。過労死がおきると、家族だけでなく回りも辛い思いをします。基金は、すみやかな認定をしてもらえません。悩みがある人はぜひ相談して欲しいとおもいます。

 

 質疑応答でも、牧内さん、三鴨社長に講演の内容についての質問があり、お二人とも熱心に回答をしてもらいました。

 

 

 

 シンポジウムの開催は、厚生労働省、会社の社長、新聞記者、過労死遺族、みんなを結びつけて過労死防止の輪を広げる機会として着実に根付いて、少しずつ効果を発揮していくと思います。過労死をなくすために、これからも続いていってほしいと思います。