今日は、クリスマスでした。
クリスチャンである私は、24日の夜は教会で燭火礼拝を守りました。そして、25日は、クリスマスの主日礼拝を守りました。本日は、教会学校のこどもたちの燭火礼拝と祝会をしました。サンタクロースもあらわれ、子どもたちにプレゼントを配りました。
そんなクリスマスの日曜の朝、私は新聞でみました。
高橋まつりさんのお母さんが手記を寄せたというのです。
各紙が手記前文を掲載しました。ネットでも見られるように配信しています。
私は、以下の部分が最も心に残りました。
まつりの死によって、世の中が大きく動いています。まつりの死が、日本の働き方を変えることに影響を与えているとしたら、まつりの24年間の生涯が日本を揺るがしたとしたら、それは、まつり自身の力かもしれないと思います。でも、まつりは、生きて社会に貢献できることを目指していたのです。そう思うと悲しくて悔しくてなりません。
そうです。亡くなってから動いても遅いのです。まつりさんの力は、生きて使われるべきでした。
クリスマスになくなったということは、クリスマスが来るたびにご遺族はこのことを思い出し、悲しみを新たにしなければならないことです。本当に心が痛みます。
神様は、私たちの罪を許すために、イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。
高橋さんをはじめてとする過労死、過労自殺の遺族の皆さんにすこしでも心の慰めが与えられることを祈っています。