残念な電通事件

電通事件の報道

電通 本社ビル

 新聞などによると、2016年9月30日付で東京の三田労働基準監督署長は、電通に勤務していた24歳の女性が2015年12月に自殺した事件について、労災と認めたとのことです。

 

 女性は1か月の時間外労働時間が105時間だったとの報道もあります。東京大学を卒業してわずか8か月で自殺してしまったとは何ともいたたまれません。

1991年にも起こっている電通過労自殺事件

 電通事件と言えば、2000年3月24日最高裁判決が有名です。

 

 この事件も、新入社員24歳男性の事件でした。1990年4月に入社し、ラジオ局の担当になりました。入社してからの1年5か月、日曜日も必ず仕事に出かけ、この間に取った有給休暇は半日だけでした。

 

 1991年1月以降、帰宅しない日があるようになり、午前2時以降の退社が3日にⅠ度、午前4時以降が6日にⅠ度で、睡眠時間は30分から2時間30分でした。

 

 同年7月には元気がなく顔色も悪い状態となりました。わずか入社1年5か月後の1991年8月27日、自宅で自殺に至ったのです。

 

裁判の経緯

 電通事件は、1996年3月28日、東京地裁で、電通の責任を認め、賠償を認める判決がでます。大きく取り上げられ自殺についても安全配慮義務違反が問われることが社会に衝撃を与えました。未だ、精神疾患について厳しい労災の基準しかなく、自殺が労災になることは、全国で年に1件あるかないかという時代でした。

 

 高等裁判所の判決は1997年9月26日。東京高裁は、本人家族の側に損害を減額する事情があったとして、3割減額しました。これに対し1審原告は上告しました。

 

 2000年3月24日、最高裁は電通の責任を認めると共に、3割の減額も許さず、高裁判決を取り消し、更に審理を尽くさせるために東京高裁に差し戻しました。

 

 その後の東京高裁における審理において、最終的には、会社が約1億6,800万円を支払うとの内容で和解が成立しています。

24年後再び

 電通事件が1991年に起きてから24年。2015年になって、再び過労自殺者が生まれている電通。2000年の最高裁判決からも15年後。しかも、同じように長時間労働。

 

 電通が、労災認定されていることを重く受け止め、ご遺族に対する真摯な対応と、実効性のある再発防止対策の検討をすることを期待します。