死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言

 日弁連人権擁護大会に出席しました。ここで、今回日本弁護士連合会は「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」しました。

 

   私は、前日のシンポジウム、第3分科会 「死刑廃止と拘禁刑の改革を考える~寛容と共生の社会をめざして~」に出席しました。

 

 このシンポジウムに参加して、認識を新たにしたのは、最近死刑廃止の国が増えていること。そして、死刑存置国のアメリカの州で急速に死刑廃止をする州が増えているとのことです。

   

   現在、アムネスティ・インターナショナルによれば、2015年末時点の死刑全廃止国102か国、通常犯罪廃止国6か国、事実上の廃止国32か国、存置国58か国となっています。

 

 OECD(経済協力開発機構)加盟国34か国の中では日本と米国だけが、死刑を存置し,執行している。その米国では、近年1年に1州が死刑を廃止している傾向にあり、50州のうち18州で死刑を廃止しているとのことです。

 米国でも死刑廃止の流れが進行しているとのことです。

 日本は、死刑に関して、世界の流れから遅れているという現実を強く認識させられました。

 

 米国で死刑が廃止になっている背景もえん罪が相次いで発覚したことがきっかけだと言われているそうです。

 死刑が言い渡された者がDNA鑑定により無罪になった例が多数あった。また米国では死刑求刑事件についてはスーパーデュープロセスが保証されており、死刑に慎重な制度となっているが、それがコストがかかることから、死刑廃止の流れがおきているとのことでした。

 

 英国も戦争が終わるまでは死刑制度が存在し、国民の8割が死刑制度を支持していたとのことでした。エバンスさんが、娘を殺害したとしえ死刑判決をうけましたが、その数年後に別の者が自分がその娘を殺害したと自白し手真犯人と認められたため、誤った死刑執行が明らかになったそうです。他にもいくつかのえん罪事件があったことが影響して、1969年には死刑廃止が恒久化されたそうです。

 

 2014年12月の国連総会において、「死刑の廃止を視野に入れた死刑執行の停止」を求める決議が、過去最高数の117か国の賛成により採択されました。同決議は、死刑制度を保持する国々に対し、死刑に直面する者の権利を保障する国際的な保障措置を尊重し、死刑が科される可能性がある犯罪の数を削減し、死刑の廃止を視野に死刑執行を停止することを要請しています。

  

 さらに、日本は、国連の自由権規約委員会(1993年、1998年、2008年、2014年)、拷問禁止委員会(2007年、2013年)や人権理事会(2008年、2012年)から死刑執行を停止し、死刑廃止を前向きに検討するべきであるとの勧告を受け続けているそうです。

 

 日本は、死刑に関して、世界の流れから遅れています。

 

 日本でも死刑が言い渡された人が後に再審で無罪になった事例がいくつもあります。

 日弁連が支援している事件で、未だ、無罪判決には至っていませんが、実際には無罪であったと考えられている事例がいくつもあります。これらの弁護人をした弁護士の報告もききましたが、無実の人が死刑判決を受け、確定したときのとてつもない恐怖や無念さは大変なものです。

 

 これは、そもそも理由があったときの人を殺して良いという制度自体がかかえる矛盾なのだと思います。 

 翌日の大会では約3時間近く、この宣言案について討論しました。

 反対の立場の人から、えん罪に関しては、えん罪を無くすよう努力するべきだとの意見が出されました。

 確かに、えん罪が起こりうるから死刑を廃止するべきだという説明は、家族を犯罪で失い死刑を望む被害者の方や、その心情を共有する国民の方にはなかなか理解できない考え方かも知れません。

 

 しかし、今の日本では、えん罪が起こりうるものであるということは刑事弁護人の実践を通して多くの弁護士が感じている実感でもあります。

 

 私は、この日、死刑と判決された再審事件を担当した弁護人の話を聞き、自分の感じていたえん罪の危険の理解はまだまだ抽象的だったと思いました。

 そして、諸外国でも同じような経験を経て死刑廃止に変わっているということです。

 

 日本は、死刑廃止をしている国とは文化も国民の意識も違うのだという指摘もありました。しかし、私には、死刑は、憲法に反するという考え方のほうが、説得力を感じました。

 

 日本の最高裁判所が死刑を合憲だと判断したのは1948年。このとき、死刑を廃止した国は、わずか7か国だったそうです。しかし、いま死刑を廃止している国は102か国になりました。

 

 最高裁判所の大野正男裁判官は1993年、少数意見として死刑廃止国が当時83カ国であることなどを指摘し「…このことは、昭和23年当時と異なり、多くの国家において国家が刑罰として国民の生命を奪う死刑が次第に人間の尊厳にふさわしくない制度と評価されるようになり、社会の一般予防にとって不可欠な制度と考えられなくなっている証左であろう。」と指摘していたそうです。

 

 現在においては、死刑は憲法に違反するという学説も有力です。

 

 極刑を望むという被害者に寄り添い、そのために努力されている会員の意見を直接聞きました。それゆえに、弁護士会が宣言をあげることは、被害者に寄り添う活動に大きな障害になるのだという意見がありました。それほど被害者の感情は激しく、それに寄り添う活動の大切さ、苦労などが伝わってきた意見でした。そのことも討論では大変考えさせられました。

 

 人権擁護大会では賛成論、反対論とも十分に議論を尽くして多数決を行いました。最終的には動議により議論は打ち切りましたが、議長は、事前に発言を通告した方には時間を延長しても発言してもらうというスタンスでした。一人で長い時間意見を述べられる会員がおりましたが、その会員に協力は求めましたが強制的に打ち切ることはしませんでした。

 

 議論打ち切りの時にはおおよそ意見は出尽くしたという状況であり強権的な印象は受けませんでした。

 

 私は、宣言案に賛成しました。元々宣言案の趣旨に賛成であったことに加え、討議の内容をきいても賛成の意見に説得力があったと感じたからです。

 

 決議は、この時の出席者786名のうち賛成546名、反対94名、棄権が144名でした。賛成が69.46%、反対が11.95%、棄権が18.32%という結果でした。議論の状況を踏まえた決議結果だったと思いました。

 

 決議の後、日弁連の木村保夫副会長が、会員から貴重な意見をいただいた、犯罪被害者とこれを支援する会員の声にもこれからも耳を傾けるという趣旨の発言をしました。議論を聞いた感想を率直に述べたのだと思います。議論を聞いて同じような思いを持ちました。

 

参考 死刑廃止と拘禁刑の改革を考える ~寛容と共生の社会をめざして~

   日本弁護士連合会第59回人権擁護大会シンポジウム第3分科会実行委員会