奥西勝さん逝く

 10月5日、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝さんが亡くなりました。89歳。死刑囚のまま、再審開始が認められないままでした。

 

 私は、弁護団ではなく、周囲の弁護団の方のお話を聞いたり、映画、本などでその内容を見た経験ですが、奥西勝さんは無罪だと思ってきました。

 

 奥西さんを無罪だと考えた裁判官もいます。一審判決をだした裁判所。そして、2005年再審開始決定を出した裁判所。裁判所は3人で構成されるから6人の裁判官が無罪だと考えたのです。

 

 それにもかかわらず、死刑判決が確定し、再審への道が開かれないのは、検察官が控訴などの不服申立の権利があるからです。

 

 英米法では、検察官に控訴する権利はありません。

 この点、日本国憲法39条は次のように定めています。

 

 第三十九条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。


 無罪とされた行為について刑事上の責任を問われないというのであれば、一度無罪になった場合には、もう有罪にできないというのが憲法の定めのようの考えられます。日本の憲法はアメリカの憲法を参考にしていると言われているので、このような考え方も十分に成り立つはずです。


 しかし、最高裁判所は、昭和25年に、1審判決で無罪となったことは、同じ事件のなかの一つの判断で、憲法39条の「無罪とされた行為」ではないとして憲法に違反しないと判断しました。

 このため、日本ではいままで検察官控訴が認められてきたのです。

 もし、検察官控訴が禁止されていれば、奥西さんは無罪で終わっていたはずです。

 

 検察官控訴が禁止されると、裁判官の誤った判断で、有罪の人を逃してしまうのではないかとという批判があると思います。でも、はじめから、検察官控訴が認められない制度をつくっておけば、検察官は1審限りだと起訴するための捜査もしっかり行うことになり、また1審の公判活動も真剣に取り組むようになるはずです。それでも有罪にできない場合は、冤罪の可能性が高かったと考えるべきです。

 

 冤罪を生まない一つの方策として、検察官控訴の禁止を法制度化すべきです。