クリスチャンとして憲法を語る

京北教会

日本キリスト教団 京都教区 「信教の自由」を考える集い 

いま、憲法「改正」問題を考える、と言う集いで、「クリスチャンとして憲法を語る」と題して、「憲法」について語ってきました。

 

場所は、京都市の日本キリスト教団京北教会です。私が大学4回生のクリスマスに洗礼を受けて、クリスチャンになった教会です。大きな礼拝堂ではありませんが、とても落ち着いた大好きな礼拝堂です。

 

弁護士の中には、憲法を守るために一生懸命活動している人たちもいます。私は、普段、憲法について活動をしてこなかった者です。また、クリスチャンではありますが、信仰も貧しく、神学的な知識もない1信徒です。上手く話ができなかったばかりか不正確なお話をして誤解を与えてしまったのではないか心配です。ただ、準備をする中で、あるいは本日話をしながら、クリスチャンである弁護士として以下のようなことを思いましたので、以下に記しておきます。

 

 

クリスチャンは、人間が過ちを犯すことを知っています。絶対的な神がいることを知っています。私たちが、イエスキリストの十字架と復活により救われていること知っています。人間1人1人を神さまが愛してくださっていることを知っています。(知っているとまでいうのは傲慢かも知れません。正確には、毎週教会でそう教えられていながら、それを忘れているのが実際だと思います。)

 

憲法は、基本的人権を守るために、国家権力の組織を定め,たとえ民主的に選ばれた国家権力であっても権力が濫用されるおそれがあるので,その濫用を防止するために国家権力に縛りをかける国の基本法です。つまり憲法は、私たち一人一人を守るこの世の装置なのです。クリスチャンとして、人権を守るための装置である立憲主義の精神は、一人一人を神が愛してくださっているという神の愛と共通していると感じます。

 

 ところで、いま、日本で憲法を変えようとしている人たちの憲法改正の意見の代表的なものは自民党の憲法改正草案です。この草案は、人間が過ちを犯すことを知らない。過ちを犯すことを予想していない。あるいは、過ちかどうかを知ろうとしない。個人を大切にするべきであることを知らない。そのように思えてなりません。再び戦争の失敗の可能性のある国防軍の創設や、そのときどきで容易に憲法改正ができるように改正の条件を提案しています。人権保障の規定も後退しています。

 

自民党の憲法改正草案は、人間が過ちを犯したときに歯止めになりにくい、歯止めにならないような方向で改正することを提案しているのです。

 

弁護士として、立憲主義の精神を侵害するような憲法改正は許せません。

 

クリスチャンとしても、一人一人を神が愛してくださっているという神の愛との共通項である立憲主義の精神を侵害する方向での憲法改正には反対です。

 

立憲主義の考え方をこの世で進め、今の憲法改正の流れに反対することは、クリスチャンとしての信仰の一つ表し方でもあると感じています。

 

 以上のお話しは、クリスチャンでない方、キリスト教に興味がない方には、すこし、違和感があるかも知れません。或いはクリスチャンの方でも改憲草案に賛成の方もおられるかも知れません。

 しかし、立憲主義の考え方には共感を持っていただけるのではないか、いや共感を持っていただかなくてはならないと思います。講演を終えてから、憲法のことは学校でも習って知っているつもりであったが、立憲主義の考え方は、数年前、別の弁護士の話を聞いて初めて知った、という方がおられました。私も、大学で憲法を学ぶまで分かっていませんでした。民主主義は大切です。しかし、私たち一人一人が尊重されるためには、立憲主義もなければならないのです。立憲主義が大切であることを、私たち法律家がもっと広く知らせていく必要があると感じました。

 

お招きいただいた日本キリスト教団京都教区京都南地区の皆様、お話を聞きに来てくださった方に改めてお礼を申し上げます。