2007年6月13日、名古屋市バス運転士が焼身自殺をはかり、翌日14日に死亡した事件です。遺族でお父さんが、公務上の災害の認定を請求しました。しかし、公務外の決定を受けました。審査請求も棄却されたので、再審査請求を行ったのちに地方公務員災害補償基金を相手に取り消しを求めて提訴した行政訴訟でした。
自殺した運転士は、市バス運転士として勤務していました。当時36協定に違反して月平均60から70時間の時間外労働に従事していました。また、午前の勤務を終えてから長時間の待機時間を経て午後の勤務をするという拘束時間の長い変則的な勤務に従事していました。
一方、当時(2007年頃)名古屋市交通局は、勤務態度等に問題がある乗務員に対してはリフレッシュ研修の対象者とし厳しい指導をしていました。このようななかで、運転士は約4か月の間に3つの出来事による強い心理的負荷をうけました。
① 本庁職員による「添乗指導」~心理的負荷①
2007年2月3日、本庁職員が覆面で運転士が運転するバスに乗りました。その際、本部から営業所に本庁職員は、「葬式の司会のようなしゃべり方は辞めるように」と指摘し、指導するように指示をしました。被災者は、不当な指導だとする文書を作成し、パソコンに残していました。
② 乗客からの苦情とその「指導」~心理的負荷②
同年5月2日、ユリカ(当時の市バス・地下鉄の乗車カード)の取扱、ベビーカーの取扱について運転士から不当な扱いを受けたとして同月3日の未明に名古屋市交通局に市民から苦情のメールが届きました。は同月16日になってから事情聴取とともに指導を受けています。しかしながら、運転士はこの頃、指導の前提になっている事実関係について強く否定した書面をパソコンに残していました。
この後、6月6日には模範的な乗務員が運転するバスに添乗させたうえ、同月9日には特別指導が実施しされ、同月11日には同月6日の添乗レポートを提出させられました。
③ 車内転倒事故~心理的負荷③
同年5月28日にバスの中で高齢の女性が転倒したという事故が発生したと同年6月に入ってから名古屋市交通局に届けがありました。名古屋市交通局は、運転士が前の件で添乗レポートを提出した翌日の6月12日になって、運転士が当該バスの乗務員だと特定し、運転士を同日に昭和警察署に出頭させた上、被疑者として取調べを受けさせた。運転士は、調べを受けたあとの午後8時42分には、上司に対して「事故にかかわっていない」とのメールを発信していました。
運転士が焼身自殺を図ったのはその翌日の6月13日でした。運転士は14日に死亡しました。
名古屋地方裁判所の判決
2015年3月30日、名古屋地方裁判所は、原告の請求を棄却する判決をしました。地裁判決は、時間外労働等は、運転士の精神疾患発症、自殺の原因とならず、上記①から③の出来事も精神疾患を発症させるほどの強度の心理的負荷にはらない、これらを全体的に見ても心理的負荷が強いものとは認められない、としました。③の転倒事故について、判決は、事故のバスの運転士が当該運転士であった可能性が高いとしました。そして、運転士が当時、自分のバスであることを認めていたとして心理的負荷は強くないと判断しました。さらに仮に運転していた市バスで発生していないとしてもその心理的負荷の強さは直ちに左右されないとしました。
名古屋高等裁判所の逆転判決
2016年4月21日、名古屋高等裁判所は、原判決を破棄し、公務外の決定を取り消す1審原告勝訴の判決を言い渡しました。
判決は、「時間外労働は月60時間を超えているから」「心身の余力を低下させた可能性がある」としました。
その上で、①の添乗指導における「葬式の司会のようなしゃべり方はやめるように」との指導は「極めて不適切な用語」で、「相手をおとしめるような言葉」をそのまま用いてなされたものであり、「被災者に与えた精神的負荷は相当程度のものであった」と認めました。
②の乗客の「苦情」に対し、被災者は明確な記憶のない出来事であるにもかかわらず、模範的な運転士のバスに添乗させる指導、首席助役による「特別指導」、反省する旨の「添乗レポート」を提出させるなどの指導は、あまり例のないことであったとして、「本件苦情を原因として被災者の受けた精神的負荷は、相当に大きかったと認められる」としました。
③の乗客転倒事故について、事故のバスの車内乗客数や転倒時の状況に関する被害者の供述の内容が被災者の乗務したバスのデータから推測される車内の状況と食い違っていること、目撃者の供述の信用性に疑問があること等から、転倒事故が「被災者の運転するバスの中で発生したと断定することは困難である」とし、「本件転倒事故に関与してないと認識していた被災者にとって、(中略)本件転倒事故に関する警察官の取調べを受け、実況見分に立ち会うことは、その認識と矛盾する対応をせざるを得なかったという意味で、大きな精神的負荷になったと考えられる。」と認めました。
判決は、添乗指導、苦情、転倒事故という3つの出来事が僅か4か月という短期間に発生し、殊に、転倒事故に関与していないと認識していた被災者にとって、転倒事故に関し警察官の取り調べを受け、実況見分に立ち会うことは大きな精神的負荷であって「平均的労働者にとっても強い精神的負荷であったと考えられる」として公務上災害を認定しました。
この判決は、高等裁判所で確定しました。労働判例2016年10月15日号にはこの判決が1審、2審とも掲載されました。
毎日放送の奥田雅治さんが、この事件について本を出版されました。焼身自殺の闇と真相 市営バス運転手の公務災害認定の顛末 桜井書店
収集するべき証拠を検討し、収集した証拠を検討し、当方の主張を工夫して書面にして訴えた。地道な資料収集、主張、立証活動逆転勝訴につながったのだと考えます。
名古屋地方裁判所 2020年(令和2年)12月7日判決
判決をうけて、父親は、名古屋市交通局に、息子が自殺したことについて、非を認めて、謝罪するように求めました。
しかし、名古屋市交通局はこれを拒否し、責任を認めませんでした。
このため、両親は、2016年10月名古屋市に対し、名古屋市の責任を認めて損害を賠償することを求めて提訴しました。
2020年12月7日、名古屋地方裁判所は、名古屋市に対し損害賠償を支払うことを命じる原告勝訴の判決をしました。
判決は、1カ月のあたりの労働時間数は80時間を超えないものの、長時間労働であって、一定程度、被災者の心身の疲労を蓄積させ、そのストレス対応能力を低下させるものであったと認めました。
そして、2007年2月の添乗指導をうけて「葬式の司会のような」アナウンスをやめるように伝えられたことは客観的にみても相当程度の心理的負荷であったと認めました。
さらに、 2007年5月に九条があったことについて、事実関係を自覚することができずに指導をうけたことについて相応の心理的負荷を受けたと認めました。さらに、その後の指導による心理的負荷は相当大きかったと認めました。
加えて、2007年6月に、転倒事故を起こしたとして、認識がないにもかかわらず、指導を受け、警察署に出頭し取り調べを受けたことが、相当おおきな心理的負荷であったと認めました。
判決は、これらの出来事により精神障害を発病させたと認めました。
そのうえで、名古屋市は、被災者の労働時間が長いこと、不適切な指導を認識していたこと、さらには、被災者が、自分に認識がないと告げていたにもかかわらず、特段の配慮もしていなかったことから、相当大きい心理的負荷が生じたことについて、名古屋市は認識できたと認め、予見可能性があること、安全配慮義務違反があることを認めました。
また、名古屋市は、被災者が本件苦情や転倒事故について曖昧な回答をしたことや、健康状態の申告をしなかったことについて、過失相殺が認められるべきとした主張をしました。しかし、裁判所はについて、被災者の責任にすることができないとしてこれを認めませんでした。
損害賠償請求について、原告の主張を全面的に認めた判決でした。
名古屋市は、この判決に控訴せず、2020年12月16日には、名古屋市交通局の幹部が両親の自宅を訪問して謝罪をしました。
この裁判が、再発防止のための警鐘になればと願います。
弁護団は、水野幹男弁護士、西川研一弁護士、伊藤美穂弁護士、澁谷望弁護士 そして私でした。