阪神淡路大震災から20年

   まもなく1月17日がやってきます。1995年1月17日。阪神淡路大震災が起きた日。私は、埼玉県和光市の司法研修所の寮にいました。朝テレビをつけると、大きな建物が倒壊している映像が飛び込んできました。そして、授業が始まる前の午前9時頃、テレビには、あちこちに火の手が上がり高速道路がなぎ倒されている映像が流れていました。同期の司法修習生と、食い入るように研修所のロビーのテレビを見ていました。当日は月曜日。大阪方面に週末帰っていた同じクラスの修習生で、出席できなかった人もいました。(幸い命に別状はなかったのですが。)

 この年3月には、地下鉄サリン事件があり、そしてその年の4月、私は弁護士になりました。阪神淡路大震災からの年月と私の弁護士経験は同じ年月です。震災の報道があるたびに、弁護士になったときのことを思い出します。

 今日は成人の日。自分が成人になったのはそれよりさらに前ですが、この頃生まれた子どもももう20歳なのかと感慨深く思いました。

 そして、2011年にも大きな地震が来ました。この時は、東京の日本弁護士連合会の建物の中で地震に遭遇しました。未だ寒い3月。交通手段がなくなり、帰ることができず、日弁連の中で、津波の映像を驚きと怖さを感じながら見ていました。温かいカレーを提供してもらったことがとてもありがたかったことを覚えています。この東日本大震災のあった2011年は、弁護士会の副会長を担当した年でした。震災の恐ろしさに加え、たとえ震災に直接遭遇しなくても交通、連絡手段が止まったときの恐ろしさと、弁護士会のような組織の場合には、特にこれに備えておくことが必要であり、大切であることを実感しました。もちろん、原発の恐ろしさを実感しました。

 私は、大阪修習で、阪神淡路大震災の少し前まで大阪に住んでいたのですが、当時、関西には地震がこない、という根拠のないことをもっともらしく言う人が関西にはたくさんいた気がします。高速道路の橋脚が倒れるなどと想像したことはありませんでした。日本政府は、原発は安全だと良い、原発の安全性を問う裁判で、裁判所は、原告を負けさせ続けていました。自然の力は、「常識」として多数の人が行っていることが誤りであることを実証しました。

 ついつい日常生活の中では忘れがちですが、震災の報道を見たときくらい、いつ当地の同じような大規模の地震が来るのかわからない、そして、その地震は予想つかない災害をもたらすものと認識し、備えを確認しておかなくてはいけないと思いました。